田中まじめ滅餓寧武露愚

よろしくお願いします。

田中まじめと音楽について(2)

1・2話同時公開!

言いたいだけ。

 

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高校を卒業した2004年、世はフェスバブル真っ只中。19歳で初めてのサマーソニック。20歳で初めてのフジロック。そこから数年はフジロックが一年の中心になり何だかんだで26歳まで毎年通う。20歳の時、頑張って貯めた10万円を三日間で使ったのを覚えている。金持ちだな20歳の俺。このフェスを通じて更に自分の音楽の趣味がミクスチャー化されていく。日本全体としてこのフェスバブルを通じて音楽好きの好み、あらゆるジャンルが聞く側としてクロスオーバーしていったように思う。バンドもヒップホップもダンスミュージックも快楽的というルールの中でどんどん(聞く側が)ミクスチャー化されていった。

 

フジロックで見た中で特に印象的だったライブを挙げると、ジェイクシマブクロ、マッドネス、シザーシスターズ、ジョンバトラートリオ、ケミカルブラザーズなど。音楽の感動みたいなものがあった。

 

洋楽自体の初体験としては、最初に痺れたのはリバティーンズストロークスだった。新潟市古町ネクスト21のHMVで平置きされ試聴機に入っていたことを覚えている。ほどなくしてフランツ・フェルディナンドが登場し漫画NANAの影響があったかどうかはわからないけどUKバンドブームに火が付いた。たくさんバンドが出てきたが個人的に好きだったのはハイブス、レイクス、ズートンズアークティックモンキーズあたり。レイザーライトのファーストも好きだった。カサビアン、ザ・ミュージックなども。この頃は頭がおかしい全盛期でHMVの試聴期を全部聞いたりしていた。でもそれが楽しかった。

 

UKバンドブームは全体的にみんな根暗っぽいオタクっぽい奴が気張っていきがっているような印象で親しみやすかった。ピートドハーティは不良で非常に渋かったけど。そしてケイジャンダンスパーティーが少し跳ねたのを最後にUKバンドブームは明確に終焉を迎える。それが2007年。

 

UKバンドブームに食傷気味だった音楽好きたちは目新しく良質なものを求め国内に目を向けていった。またブームを終了させたのはゆらゆら帝国が巷レベルでどんどん認められていったことに一因があるのではないかと思う。空洞ですのリリースが2007年。前作スウィートスポット発表時までは一部の音楽ファンにウケているという規模感だったような気がするがスウィートスポットの素晴らしいライブアレンジを経て、坂本さんが最高傑作を公言している「空洞です」がリリースされた事により規模が大きくなりバンドとしての評価を確固たるものにした感があった。日本語のロックにこだわるという価値や国産という価値が、日韓W杯、狂気の桜で当時の若者たちに芽生えていたナショナリズムともリンクしていったように思う。

 

ゆらゆら帝国以外にもゼロ年代UKバンドブームの裏で日本語での歌詞表現にこだわった実力派のバンドたちもファン層を拡大していった。ナンバーガールイースタンユースくるりなどがその中心にいて、更にそのルーツを知ることでより幅広く良い音楽にたくさん出会えた。村八分やシルバーアップルズ、ピクシーズ、フガジなど。ミッシェルガンエレファントは高校の時に解散してチバさんはロッソやバースデイを始動させていた。ミッシェルやベンジーのファンだった友人が学生服のシャツを第三ボタンまで開けてたことが思い出される。

 

UKバンドブーム終盤の2007年にはクラクソンズというロックとエレクトロを合わせたようなバンドも出現し時代をロックからエレクトロへとスムースにつなぐ流れもあった。ジャスティス、ボーイズノイズ、2manyDJsなどエレクトロという新しいアーティストたちが今までのテクノ、ハウスなどのダンスシーンを巻き込んで盛り上がりを見せていた。個人的には思い入れもあり、ここら辺が最高の最高。特に2manyDJsのレディオソウルワックスシリーズが特に最高なので聞いて欲しい。そこからエレクトロのルーツであるケミカルブラザーズ、ダフトパンクアンダーワールド、ファットボーイスリム、ベースメントジャックス、プロディジーなど遡る。それと前後して自分たちの遊び方も、金曜はエレクトロのイベントに行き遊び土曜はヒップホップでなどと毎週クラブに通っていた。まじくそ。

 

ヒップホップにはジュラッシックファイブやザ・ルーツがかっこよくてハマる。マッチョなヒップホップやギャングスタなヒップホップやインテリすぎるヒップホップより、当時はオシャレかつ何となく思想を持っていそうなヒップホップを好んで良く聞いた。ビースティボーイズやデラソウルなど。特にビースティボーイズは音楽も思想もファッションもメンバーの仲の良さもミックスマスターマイクのDJイングもめちゃくちゃにかっこよくて影響を受けた。オールドスクールも一通り舐める。ぺろぺろ。うまい!ブックオブデイズという洋書に強いイケてる本屋があって、そこで手に入れたバッキンザデイズというオースクファッション写真集が好きだった。ブックオブデイズは大阪へ移転。

 

時を同じくしてサケロック登場。初期サケロックのステージ衣装はバッキンザデイズで見たオールドスクールのそれだった。しかしヒップホップに関することなどは、サケロックから教えてもらったというより、同じ時代の空気を一緒に吸っていると勝手に感じていた。「君たちもバッキンザデイズ読んだん?やっぱいいよね!」みたいな。また、ぐうぜんのきろくという彼らが全国ツアーを回る裏側を撮影したドキュメンタリー映像があるのだけど、友達と酒を飲むときよく見ていてとても楽しそうで羨ましかった。ハマケンがめちゃくちゃ面白かった。

 

余談だが、自分はバンドをしなかった。高校生の時は勉強ばかりしていたし、それからは友達と酒を飲んで喋ることが楽しくてそれしかしなかった。いつかやるかな。やらないかな。

 

また、2004年といえば木村カエラの登場も2004年だった。アイドル的なルックスの良さと、奥田民生、サディスティックミカバンド、電気グルーヴなどに楽曲提供を受ける音楽性の良さを持ち味に、ファッション観、都会的な雰囲気、彼女が聞いている音楽、注目していることなどストリート感とアーバンを存分に振りまきそして2010年に瑛太とデキ婚するまで一時代を築いていった。パフュームをフックアップしたのもカエラさんでした。みんなでカエラに惚れてラジオの公開収録を見に行ったりした。そして「顔が拳ほどだ!」とか「いま目が合ったわ!」などという感想を言い合ったことを覚えている。

 

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 なるほどね。

3話はジャパニーズヒップホップについて語りました。

おそらく16日頃に公開します。

ぜってえ見てくれよな!