田中まじめ滅餓寧武露愚

よろしくお願いします。

田中まじめと音楽について(3)

続き。

2005〜2009の日本のヒップホップシーンの空気感を思い出しながら自分なりに音楽シーンの推移についてもまとめてみました。

 

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そして、ジャパニーズヒップホップ。ブルーハーツやロックで知った反体制的な音楽を表現しているシーンはジャパニーズヒップホップだった。もしくは峯田さんもだけど。最初はシンジの家で聞いた「般若/おはよう日本」(2004年2月発表)。高校を卒業した春休み、シンジの家でよく聞いていた覚えがある。それ以前にも友達が聞いていたキングギドラブッダブランドに触れる機会はあったがその時には良さをキャッチできていなかった。思い返すにやはりブルーハーツの影響が大きく、般若ははっきりとブルーハーツリスペクトを示し日本的なロックの魂をヒップホップで表現した最初のラッパーだったのではと思う。また何年かしたら般若の音楽を聞いて育った若いやつがバンドとして現れて反体制を表現してくれたらすごく面白いなと思う。つかもういるのかな?

 

般若に続いてシンジとナオキがカラオケで歌っていたヒップホップジェントルマンで更にハマり、ニトロマイクロフォンアンダーグラウンドを聞き、ニトロの各自ソロを聞き、さらに色色ディグる。「洋ロックこそ至高!」みたいなところからハマったのでブルーオーシャンに突っ込んだように全てが新鮮で楽しかった。キラーボングもこの頃。ニトロからはアーバンとかストリート、クルー感という要素を教えてもらった。

 

前項(2)で書いたようにロック、エレクトロなど洋も邦も色々な音楽を聞きつつ時は流れ、日本のヒップホップ的にはコンクリートグリーンなどを経て2007年にノリキヨのイグジットがヒット、サグダウンポッセ出現しシーンの空気が変わった。同じく2007年リンカーンでの中川家、練マザファッカー回で『すいません、disっちゃいました』発言でオーバーグラウンドにアンダーグラウンドカルチャーが意図せずはみ出たりするなども。このあたりで日本語ヒップホップがブームとして盛り上がり、ミクスチャーされた我々は、それ以前の音楽ファンというニュアンスからサブカルファンというニュアンスに変容し、ある意味やじうま的な連中の総称としてサブカルという言葉が定着し2011年モテキに向けて走り始めたように思う。

 

サブカルについて。「サブカル」とはただの言葉だと考える。音楽、漫画、映画、お笑い、ファッションなどなど多岐に渡る非常に感覚的な言葉であり、国民的ではないもの全体を指す言葉ではあると思うが非常に意味自体が流動的。オタクを指す場合も暗いやつを指す場合も、マニアックな深い知識に尊敬を表す場合も、逆にこじらせすぎためんどくさい人も、あるいはその全ての意味も。単にビレッジバンガードを指す場合すらもある。また私自身「サブカル」呼ばわりされると精神的な未熟さを指摘されたようで少し恥ずかしかったりしたのだけど、もう仕方ない。私はサブカル糞野郎だ。いっそ受け入れた方がすがすがしい。サブカルという言葉が何を指しているかは分からないけど私はサブカルおじさんです、と。

 

話をヒップホップに戻すと、個人的に日本のディス歴史を振り返り印象的だったのが般若のお葬式やサンクチュアリ。この時から革新派の般若原理主義と保守的なケーダブ擁護派に分かれ、俺は今でも般若原理主義でありヒップホップ的には般若さんの教えが一番正しいと信じて楽しんでいる。えへへ。

 

2007年、中川家兄のテレビ放送から注目を集めていたディスるカルチャーは名作2009年テリヤキビーフ事件でピークアウト。これが良すぎてその時のヒップホップ全体としてもここである意味お腹いっぱいになってしまったように思う。2009年PSGのデイビッド、2009年鎮座ドープネスの100パーセントラップから日本語ヒップホップのこの10年はフリスタというスポーツにフォーカスされていた。2012年、オトギバナシズ/プールのカフェでも聞けるようなフローってのは良かった。2012年のトーフの水星も。最近だとジンメンウサギ、キッドフレシノあたりなのかしら。詳しくない。

 

そして、2004年頃からのUKバンドブーム、日本語バンドブーム、エレクトロブーム、オースクブーム、日本語ヒップホップブームとクソミーハーサブカル野郎どもがサーフしていた時代の潮流、新しい刺激や快楽を求めスイッチされてきた様々な時代の流れを一本にまとめ上げ新しい本流となったのは『ももクロ』だったように思う。

 

ももクロ以前のサブカル的トレンドであった日本語ヒップホップを振り返ると、ディスやそれに対するアンサーという物語性に富んだ面白みがあり、そしてそのプロレス的な流れを組みつつ斬新なパッケージとして登場したのが『ももクロ』だった。ももクロは、とにかく女の子たちのがむしゃらさと、運営による物語性のある話題作り、場外乱闘でヒットした。ヒップホップ、エレクトロによりサブカル的な音楽ファンたちにカラオケ耐性がついていたことも勝因だったように思う。

 

ただこれには一部のサブカル民は乗れなかった。イベントの現場が圧倒的に東京で行われていたことがその理由だと分析する。あとやっぱりロリすぎた。当時。

 

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続く。