田中まじめ滅餓寧武露愚

よろしくお願いします。

田中まじめと音楽について(4)

ももクロブームに乗れなかったサブカルの民たちは、超新星たちの出現に引かれるように日本のインディロックシーンへと回帰。2007年フジファブリックフジロック出演、2008年相対性理論のシフォン主義が全国流通、2009年のアンディモリのファーストアルバム、などが挙げられる。またそれらをやついいちろうが『新しいですよ!』『都会的ですよ!』『踊れますよ!』とばかりに凄まじいスピード感で自身のJポップコンピレーションに混ぜ込みパッケージングして発表。フェスバブル以降の『踊れますよ!』と『日本産ですよ!』をいち早く切り抜いてあのパッケージングを作ったやついコンピは当時の自分にとって斬新で面白かった。

 

神聖かまってちゃんのロックンロールが鳴り止まない発表、毛皮のマリーズ、女王蜂の登場と続き、いよいよサブカルが加速していく。やついいちろうにより、ももクロPerfumeきゃりーぱみゅぱみゅなど新しいアイドルソングもある意味でそこに並走していき、2011年劇場版モテキ公開をもって遂にサブカル大集合が果たされる。ここがサブカルのピーク。総まとめだった。サブカルクソ野郎という言葉の流通とともに、卑屈さが時代のトレンドとなる。

 

今までマイノリティーであったはずのサブカルがこの映画で長澤まさみとキスをしてしまう。当時の長澤まさみは国民的女優の中でもトップ中のトップだったと記憶している。サブカルがメインストリームを制し、逆転勝利した瞬間だった。そしてその逆転勝利により今までの意味でのサブカルとメインストリーム、体制と反体制を区別する意味が消滅してしまう。我々が信じていたサブカルという物語は大円団を迎え、サブカルという言葉の意味自体が死んだ。何言ってんだラブミーテンダー(忌野清志郎)。

 

また、サブカルが死んだ後の世界に現れた人物こそが星野源で、源は実際にサブカル村の出身であるはずなのに逃げ恥においてガッキーとキスをして紅白にも出場して国民的な人気を得て天下を取ってしまう。モテキが予言した世界を源が現実にさせてしまったのである。また同じくサブカル村の出身である峯田も石原さとみとキス。やはり現代はサブカルが死んだ後の世界で体制と反体制の区別が非常に曖昧になってしまっている。昔、「スチャダラパーが出現した時にサブカルは死んだ」という意見も今なら頷ける。スチャはサブカルの民だったのに当時天下人だった小沢健二とフィートして世に出たという意味だったのか。最初に聞いたときには分からなかった。

 

映画モテキでは現代的アイドル文化やツイッタ、ナタリー、フェスバブル後のフェスの雰囲気あたりまで映画の要素に盛り込み、モテキ以降はすごく新しいものは出てきていないように感じてしまう。いやそんなことにないのだけれども。その辺から自分の仕事も忙しくなり追えてないっていうことが大きい。ユーチューバーとかか。レペゼン地球の社長は好き。むしろ般若的かも。ユーチューバーとダブステ、EDM。第二次あべ内閣以降の停滞、閉塞感。

 

あとはヤイエルが出てきた時は新しい時代が始まった感じがした。日本人が出せなかった洋楽のグルーヴ、センス、パッケージング。それはきっと宇多田ヒカルが出てきたときのイメージ。事実、宇多田ヒカルが出てきたときに稲垣吾郎が反応したようにヤイエルが出てきたときにはいち早く嵐・櫻井翔が反応していた。The fin.、Tempalay、D.A.Nなどもうチェックできないけどみんなすごい。あとジュアンズ、ノーバシーズ。ジュアンズは新潟なので地元民は要チェックや!

 

現代で言うと、ももクロ以降のサブカル目線での現在進行形がBISHももクロが全員同じ方向を向いて全力で踊っていたのに対し、BISHは個が尊重されお互い人間なんで色々あるからその範囲でバラバラながら適材適所で頑張ろうという現代日本の多様性を語っている感じ。ダイバーシティー。今度それもまとめたい。ヤイエルの山田健人さんとも仕事していたし。

 

あと個人的に東郷清丸くん、クソとかエログロ、ヒプホプ、バンド、エレクトロの要素までをも恐らく消化し、お賃金をもらうための仕事に対する現代的な新しい人生観まで備えた上で、上品に着地していて、これも新しくていい。

 

純度の高い敬虔なサブカルの民は、おそらくシティーポップとファンシーを盛り上げていらっしゃるように思う。ファンシーはゴーチャラブチンスキーにもサンプリングされたりした。現代は何と言っても抜け感の時代。ファッションもそう。肩肘貼らない自然体が好まれている。シティポップ、ファンシー、おしゃれゆるふわヒプホプ、カフェでも聞けるようなフロー(オトギバナシズ)。それも何年か続いてみんな飽きてきたと思うのでそろそろ変化するのだろうか。ファッションはタックイン、ガチャベルト、ビッグシルエット以降トレンドが停滞している感じが非常に強いので新しい時代の流れを楽しみにしている。自分が取り入れるかは別として。

 

最後に自分の音楽史を振り返ってみて、どうしようもなく申し開きの余地もなく自分が「サブカル糞野郎」だなと確認できたことと、一方で人知れず抱えていた「サブカルと呼ばれることに対する違和感」の原因が「サブカル」が自分の中で勝手に終了していたからであるとということが分かった。あとは時代って怖い。この間に色々な人たちが時代を築き消えていった。それでも音楽を聞いてさっきまで沈んでいた気持ちが「ハッピー!」となれるならやっぱり音楽はすごい。みんな、それぞれ最高の音楽がある。否定も肯定もなく自分で自分が好きな音楽を信じて頼ってより良い人生を送れることを祈ってこのブログを結びたいとい思います。

 

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完結。語りましたね。お疲れ様でした。読んでくれた方がいらっしゃいましたら一杯奢りますね。みなさまの幸多い人生を祈っております。読んでいただいてありがとうございました。以上。解散。