田中まじめ滅餓寧武露愚

よろしくお願いします。

インターネット

インターネットについて考える。最近ツイッターで流れてきたデビッドボウイだったか確かそんな人がインターネットが世に現れた頃に言っていた言葉で『インターネットはヤバイ、人類の発明ってより地球外生命体が襲来したくらいヤバイ、めちゃくちゃ世の中の色々なものが変わるだろう』と言っていた動画を見た。すごくそう思う。ベルリンの壁を崩壊させたのもインターネットだ。知りたい人は見てみてください。僕もインターネットのヤバさに便乗して己の考えを発信してしまう。インターネットのヤバさは本当にそこだと思う。個人が発信したものが遠くの誰かの所にほとんど時差なく届いてしまう。

 

「ふと思い出したのだけど、中学生の頃に誰かのお父さんの『裏』をパクってきて鑑賞する文化と、カリビアンドットコムで鑑賞する文化があった。時代の過渡期を感じ非常に赴き深い。裏の入手ルートはいまだに分からない」

 

それ自体は思い出の一つなのだけど、そこから一歩踏み込んで考える。怖いところは誰かの悪意や世に反するアブノーマルな趣味が一瞬で世界に流出するというところだ。最近、ちょっとした思い付きでツイッターのフォロワーを増やす活動にせっせと勤しんでいる。老若男女が時間も場所もなく活動するツイッター上で、みんな色々なものを流出させている。大抵は何てことはない。ただその中に、隠語を用いて世界の裏メニュー的なものがガンガンとやりとりされている光景を目の当たりにする。

 

まだ生きている年数の少ない中高生がいるすぐ隣でそれが行われている。まさにすぐ隣だ。普段その子が検索する窓で裏メニューに引っかかるような言葉を検索すると、そこには無限に広がるアッチ側の世界がある。これはきっとまだまだ続く。言葉を指定すれば簡単に取り締まることもできるかも知れないが、きっとさらにまた新しい言葉が生まれコミュニケーションの手伝いをしてしまう。言葉に罪はない。言葉でコミュニケーションを取っている現状としては、完全にそれらを排除するシステムはできないと思う。一人一人の良心こそが大事になる。不惑の40歳の向こう側に「何も考えずとも人を傷つけないようになるのは70歳」という中国のことわざが確かあるのでそれは結構難しい話。高齢化社会だからイイか。

 

ネット上の言い争いから片方の人が特定されて刺殺されてしまった事件の記事を見た。まとめを見ると犯人はもう守るものがないっすという感じの人で、その主張が異なった人に論破されたことを根に持ち復讐することだけが人生の目標になり凶行に至ったようだった。シアーハートアタックよりヤバイ。

 

よく見ているアイドルがギリギリの攻めたワードを更に短縮形にしてギャグのように発信していた。あまり深く考えず攻めてて面白いなと思って同じような言葉で更にギャグをかぶせて自分も発信したらすぐにリアクションがあった。見てみると、精神に疾患を持っているレベルで強迫観念に取り憑かれている方だった。この辺は表現が難しいけど、宇宙とつなっがっているような方が、宇宙とつながっているような世界観でそこまで意図していなかった僕と5段階くらい飛び越えてつながってしまったような感じだった。とにかくそれ以来、ネガティブな表現はできないでいる。前からそうしていたけどよりセンシティブになっている。

 

インターネットを大きく分けると、匿名性を利用して好き勝手に表現している人と、匿名性は無いけど刺激が抑えめになっている人がいる。顔出しするならネガティブな表現をしないがセオリーだと思っていたけど、インターネットの人口が増えるに連れて顔出しの有無に関わらず尖った表現はできないのかなと思っている。「それ、リアルでも面と向かって人に言える?」というやつで、これはしっかりと肝に命じてインターネット活動に励みたいと思う。

 

10年前に比べて、僕が思う大きな変化はガラケーからスマホに変わったこと。LINEは便利だけど既読されたか分かるようになったし、SNSですぐに感情が発信できるようになった。より人のことを考えることによって使いこなせるのだと思う。忘れてはいけないことは狂気がすぐ隣にあるということ。昔より。過渡期ってのはきっとずっと過渡期なのでより人間の古来からの本質を理解すること。

 

以上です。ばーい。