田中まじめ滅餓寧武露愚

よろしくお願いします。

DEZIL BOYS について

DEZIL BOYS とは、BRING BACK、MC ニャン、田中まじめ の三人からなるラップグループである。同じ中学校の同級生で構成されている。

 

出汁BOYZなのかDEZIL BOYZなのかDEZIL BOYS なのか、表記についてメンバー間で議論された際に「『DEZIL BOYZ』がかっこいいからそれでいこう!」とブリングと田中が主張し、ニャンは『Z』に消極的だった。

 

そして、いざ字面を見たとき、「『Z』より『S』の方がしっくりくるかも!」と最初に『Z』表記を推していたブリングと田中が翻意、このとき逆にニャンは「やっぱ『Z』良くね!?」と叫んだが数の暴力に押し切られ『S』に決まった

 

はずだったが、最初のライブで配布するCDのジャケットを手書きしてたときに「やべ!間違った!『Z』で書いた!」というブリングのシャウトにより、正式表記としての『DEZIL BOYZ』が誕生した。

 

しかし、その後も、『出汁BOYZ』表記が流通したりしているのでここでは田中が個人的に好きな『DEZIL BOYS』表記でやらせてもらう。色々な表記があることによりエゴサをしても引っかからないところも好き。

 

「デジル」とは大江山スラングで「先走った感情」のことである。

 

「良かれと思ってした行動が思うような結果を生まない様」を見て、「デジル出ちゃったね」「デジル吹いちゃったね」と慰め合っていたことで定着。我々は普段からデジルを吹かせている。

 

ニャンは、僕の実家の隣の家の親戚の子供として登場。同い年だったので小学生の時から何度もキャンプに行くなど家族ぐるみの付き合いがあった。僕は別の小学校だったがブリングとニャンは同じ小学校に通っていて、その頃からの付き合い。

 

三人とも大江山中学校に入学。ブリングは中学一年生の時に同じクラスになり友達になった。クラスの壁新聞では共にイラストを勝手に書いて「ウケを狙って目立ちたい」「誰かに笑って欲しい」というしのぎを削りその切磋琢磨が今に続く原点だと思う。またブリングとは同じ野球部にも所属していた。ニャンはゲームをしていた。

 

高校では別々の青春時代を送る。田中は公務員試験の勉強、ブリングは部活動で柔道、ニャンは警察との鬼ごっこ。全く違った青春を過ごすが卒業する頃には、再びツルむようになっていた。

 

時は流れ、三人はヒップホップに出会う。ブリングとニャンは体のサイズがデカ過ぎてメンズノンノのファッションができなかったことから、田中はブリングに聞かせてもらった般若今日から出会った。たくさんの日本語ヒップホップを聞くうちに「パンチライン」という特に耳に残るフレーズを吸収し、気が付くと日常会話にいかに「パンチライン」を楽しく混ぜ込めるかという遊びが始まる。

 

例えば、同意したとき普通は「分かる」と言えば良いところをケーダブパンチラインを引用して「俺もBOY ーKENとは同意見」と返し、更に誰かが「あれば話し合う相違点」と続けるいう感じだ。

 

そんな感じで誰かに強烈に憧れてラップを始めたわけではないが、ただただ趣味が高じてラップ活動が始まった。モチベーションとしては「知り合いが飲み会でラップしていたら面白いでしょ?」という余興的な意味合いが強い。あとは恥ずかしながら友人が持ってくるリリックが面白い。


MCニャンの「蜃気楼のきゃりーぱみゅぱみゅと砂浜の上でサマーしゃぶしゃぶ、蟹がこっちを見ている、ハニカミながらサマーガム噛む」というリリックが上がってきたときには、まじでこいつやべーなと思って、その年の自分が選ぶプロアマ不問のリリック大賞で優勝していた。コカインやってないよね?


ブリングも僕も負けじとリリック(ギャグ)を発表して、互いに身を悶えさせながら「君のリリックやばいね〜」と褒め合うことが面白いのだ。

 

そんな感じで始まったDEZIL BOYS 。おじさんたちが恥ずかしさを持ち寄って遊んでいる。新潟市に不穏な空気を漂わせるべく活動している。「今日のライブ、不穏でしたね〜」と言われたい。個人的な今後の野望としてはどこかの9歳が作ったリリックをハタチくらいの女の子に歌わせて、おじさんたちとコラボさせたい。何を言っているか分からないかも知れないけど僕も分からない。

 

歳を取ったらオルタナティブヒップホップ自己啓発系バンドになりたい。「新生クソアイドル」から「楽器を持たないパンクバンド」に変わったBiSHのように。よろしくお願いします。今日はそんなところで。ばーい。