田中まじめ滅餓寧武露愚

よろしくお願いします。

コースケ

コースケという小学生来の友人がいる。普段は東京に住んでいる。とても変わっている。僕も少し変わっているので二人で変わっている部分を共有して面白がって今に至る。

 

ここ10年くらいのお正月はいつものデジルメンバーではなく、コースケと二人で彼の実家の部屋で年越しの瞬間を迎えていた。上京してから何も変わっていない、ハイパーヨーヨーや「ゆず」のポスター、ゾイドのおもちゃラッキーマンやウィード、水島新司の漫画本など懐かしい品々がひしめく博物館のような子供部屋で。

 

1年間で、夏と正月の二回くらいしか会わない。会うときはお互いに溜め込んだ半年のサブカルを総まとめして発表したり何となく流れているテレビに独り言みたいなことを言ったりして過ごしていた。それが毎回の恒例行事でめちゃくちゃ楽しいイベントなのである。

 

ある年などテレビの調子が悪く、二人して代わる代わるスマホの音楽を直ガケして過ごすだけの地獄みたいに盛り上がらない楽しい年もあった。大晦日からお正月にかけての特別な夜に。

 

どのように付き合いが始まったか思い出す。小学校の同級生で、良くコースケの家に遊びに行っていた。中学校では同じ野球部に所属し、キャッチボールのパートナーだった。小学校からの流れを汲みつつ野球に対する熱量もほどほどで色々お互いにちょうど良かったのだと思う。毎日キャッチボールをして、そこから一気に仲良くなっていった。

 

中学校の時の共通の趣味は99ANNラジオだった。高校1年生の時には、お互いしか読まないケータイ小説を作ってメールで送りあっていた。やばすぎる。ドラゴンボールスラムダンクをフルサンプリングしたナンセンスギャグ小説。どうやって終了したかも忘れた。陵南の魚住をいじり続けていた記憶がかすかに残っている。

 

深夜ラジオという陰の極みみたいな趣味は継続させつつ、青春パンクから始まったバンドブームに乗じ二人とも意識的に音楽を聴き始め、だいたい同じような遍歴を辿る。コースケはハガキ職人もはじめ品川庄司のラジオでピーク時は毎週採用されていたらしい(99ANNにも2回採用されたことがあるとのこと)。ノベルティのおすそ分けをいただきまだ持っていたりする。

 

19歳、コースケは上京し大学の仲間と音楽活動をスタートさせる。僕は新潟に残りニャン、ブリングのデジルメンバーとラッピー、シュンペーという二人の男も加わり酒クズ一直線の青春を歩み始める。お酒は20歳になってから飲み始めました(コンプラ)。

 

20代前半もちょくちょくと合って、音楽や映画、漫画、お笑いなど糞みたいなサブカルトークを交わす。コアな知識的な部分はコースケとたくさん共有して学んでいった。特にコースケが編集プロダクションに所属して実話しか載せない雑誌に携わってからの情報はとても強烈でアンダーグラウンドオルタナティブでイリーガルで刺激的だった。

 

そして冒頭に戻り年二回スタイルが完成され現在に至る。

 

コースケは、同じ中学校の同級生であるニャンとはジョジョの格ゲーを泊まり込みしてまで一緒にしていたり、ブリングとはクラスも部活も一緒で仲も悪くなかったはずだが自然と疎遠になっていく感じも今思い出すと感慨深い。ずっと仲が良いって色々な要因が重なった奇跡なんだと思う。電気グルーヴ

 

2パターンの地元の友人を持ちながら、接点のないブリングとコースケの興味がリンクする瞬間を僕は見た。ブログとインターネットラジオという発信手段を用いるところまでは共通だった。しかし、それぞれの目標設定やアプローチは、陰と陽、短距離走長距離走、ウェットとドライ、匿名性と実名性、ライブと録音、合法非合法、あらゆる面で逆をいっており、その姿をどちらも見れて面白かった。もちろん良い悪いではなく二人の推進力にただただ感嘆しているところだ。

 

そんなコースケからゴールデンウィークに帰ってくるという連絡が入ったのでブログにしてみた。今から楽しみ。コースケ回、終了。ばーい。