田中まじめ滅餓寧武露愚

よろしくお願いします。

20190418 祖母と話す

今日は母方の祖母と話した。アベヨウコ85歳。6年前に夫を亡くしケアハウスという老人が共同生活するアパートで一人暮らしをしている。ケアハウスは健康を考え作られた食事が自動で出てきてお風呂も決められた時間なら自由に入れるという施設。祖母はいつ行っても具合が悪いと言っていて「長生きはするもんじゃない」が口癖になっている。少し前に会ったときよりも体が重そうだったが脳の回転は衰えておらず良く話してくれて元気そうで良かった。

 

ふと行きたくなったのは、昨日働いているときに「お父さんとお母さんから生まれるけどやがては全員もれなく土に帰るって面白いな。俺も君もいつか地球か。それじゃあもうほぼ地球か」、「母方の祖母はあと6年くらい生きてくれるか、もしくは2、3年、下手すれば来月には土に帰るのか、もっと話したいな」とふと思ったからである。

 

祖母は気が強いタイプで、今日行ったときも「ケアハウスの恒例行事でカラオケ行ってたけど周りが下手すぎてもう行きたくなくなったわ笑」と歯に絹着せぬ調子で笑い話にしていた。元気なときは歌のカルチャースクールに通っていてカラオケを得意としていることは知っていた。

 

母は、祖母を評して気は強いが気配りもできる人だと良く言っていた(自分は気が効かないが、とも)。ケアハウスに入る前、夫婦で住んでいたときは向かい三軒両隣には抜かりなく色々と気を使っていたようで楽しそうなご近所付き合いの話を良く聞かせてもらっていた。

 

一軒家からケアハウスに引っ越したのも、いわゆる終活によるものらしく祖父の死後2年ほどかけて家のものを全て処分し、掃除し、家自体も近所の若夫婦に二束三文で売り渡してしまった。残されたものに負担をかけぬよう死ぬ準備の一環のようだった。

 

祖母の近所に住んでいる母は、ご近所との良好な関係を見て一軒家からケアハウスに移らなくて良いのではないかと声をかけていたそうだが祖母は全てを処分してケアハウスに引っ越した。本人はそこまで言わなかったが、人の世話になることをよしとせず人間関係すら死ぬ準備の一環に捉え美しく遠ざかろうとしていたのではないかと思ってしまう。

 

引っ越しが79歳のとき、「何でも元気なうちにやらねばダメだ」と言う姿は言動が一致して筋を通しているようでかっこよかった。昔から段取りをとても気にするそうで「若いときから天気予報を見て日々の段取りをするんだわ」と教えてくれて勉強になった。

 

「引っ越してから6年たったけど、この前6年間で施設に払った金を全部計算したら560万(仮)だった」と教えてくれた。自分は祖父の遺族年金と自身の国民年金で賄えているが、国民年金だけの人も公の機関から補助が出るから施設に入れるとも。どうにかなるのだなと強く思った。

 

「他の施設を見せてもらったこともあるけど、ここより狭いし料金は高いし良くなかった」「あんたらは少子高齢化で大変だね」「趣味がない人は寝てばっかりいるわ」と言っていてまた考えさせられた。

 

最近は「年金の受給開始年齢を70歳に引きあげようかその代わり82歳まで生きたらモトがとれるようにするよ」などという話し合いを国がしているとのニュースも聞いた。現代をサバイヴするものの人生観として、体が動くうちは働きに出て社会にも参加しつつ動けなくなったらゴールというくらいに考えておいていいのかも知れない。働く意欲さえあればどうにでもなるとも思える今の時代はとても幸せなのかも知れないとも考えた。

 

数年先の社会情勢も大きく変わらないような気がするし、何なら国がどこかのタイミングで本気の人口増加を目指して老人になった我々が割を食う未来がやってくるかも知れない。そこから思い浮かぶことは今しかできないことを今やる重要性で、「年を取ったらやろ〜」という老後の楽しみは、もしかしたら通用しないのかも知れない。もちろん全て自分のバランス感覚でありタイミング感覚であり、つまりそれぞれの人生観だけれども。心の底からみんな違ってみんな良いと思うけれども。

 

祖母、別れ際に「まーだまだあんたらにはフタ山もミ山もヨツ山もあるわね」と言っていたので今度行ったときには今までの山と、戦時中や戦争からどう生きてきたか時代の流れや何を考えて生きてきたか、年を取っても楽しい趣味などインタビューしてみよう。楽しそうだ。今日は1時間くらいだったがずっと喋りっぱなしでお腹いっぱいになって退散した。やるなアベヨウコ。あと2年くらい健康に生きてくれ。

 

帰りに家内と10年前の話になった。曰く、「10年前は思い出すと至らぬ過ぎて恥ずかしくなるけど、それはもう経験できないことだと考えると我がことながら愛おしくなるね」と。いいね。こちらは10年前どころか昨日のことすらも至らぬ過ぎて恥ずかしいようなどうしようもない男。しかし、確かに10年前よりは良くなっている、と思う。昔の私、どんどん更新できたら面白いのでできるだけ長く今考えていることをブログにしたため生きていこう。

 

そんな感じでほなまた。ばーい。