靴を買った
靴を購入した。アディダスのSL72というスニーカー。青いナイロンのボディに、褪せた加工のスウェード素材がトゥーやヒールなどに施されていて、ボディとソールの間にはワンポイントで赤いラインが引かれている。かわいい。
食べてしまいたくなるほどかわいい。今の復刻ではなく数年前に復刻されたもの。なぜ復刻のたびにディテールが変わるのだろうか。
アディダスの長い歴史から考えると、歴史に名を残すようなモデルは多くはない。SL72はランニングシューズの先駆け的なモデルであり、SLはスーパーライトの頭文字である。その後はSL76、marathon80という後継機が発売された。
それらはレトロランニングと呼ばれるジャンルに属するようで、いずれも古きよき時代のデザインセンスを感じる一品。かわいい。大して詳しくないけどアディダスが好き。
SL72があまりにかわいいので、上に着るものを悩んでしまう。靴がかわいいところにかわいい(もしくは、かっこいい)トップスを着ると、自分がとてもかわいい(もしくは、かっこいい)を表現しているようで恥ずかしくなってしまう。
だからトップスは無地、もしくは小ダサいものを身につけたい。それならかわいいが渋滞しないので心が安定する。
嫁にそのような話をすると「めんどくさい人だね」と一笑に伏される。嫁は服にあまり頓着が無いタイプで、私は組み合わせなどを考えることを楽しむタイプなので、嫁から私にファッションの相談をしてくれることもある。
しかし、分かっていても気を付けていても私の意味不明な理屈による細かいダメ出しが出てしまい、最後は嫁が「めんどくさ」と言って相談が終了してしまうことが多い。
ひと様がどのような服を着ていても全く気にならないけど、自分のこととなると意味不明な理屈が次々と湧いてきて色々なことを邪魔してくる。
今回で言うと、自分はかわいい(もしくは、かっこいいやイケてる感じ)とは程遠く自分のダサさには日々うんざりしているので、かわいい人かっこいい人イケてる人だと思われたくないのだ。いやもっと正確に言うと思われすぎたくないのだ。めんどくさ!!!!
「人にどう思われるか気にしない」というテーマを持って生きているけど、どうしても気にしてしまう。最近は少し諦めた。「人にどう思われるか気にしない」マインドを手に入れたらかなり生きやすいのだろうが自分は悟れそうにないので、悟れない範囲で自分の生きやすさを探そうと思っている。
ダサいTシャツについて考えていたら、過去にECKOというTシャツが似合わなかったことを思い出した。
中学生のとき、池袋ウエストゲートパークなどの影響でオーバーサイズドな西海岸のファッションが流行していて、そのときは自分も「B系」の服を買ったことがあった。
当時は真剣だったけど今考えると自分には似合わなすぎて身悶えするほど恥ずかしくなる。なので、そういう意味で今年はECKO(エコー)のTシャツが着たい。は?
「めんどくさい」とか「こじれている」など、自分の形容詞として本当にしっくりくる。世間に対してごめんなさいという気持ち。できることをがんばります。ありがとうございます。以上。