田中まじめ滅餓寧武露愚

よろしくお願いします。

田中まじめ物語

この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

 
田中まじめは1985年の夏にN県N市で生まれた。最初の記憶は3歳歳下の弟が生まれたときで、「弟が生まれた兄は赤ちゃん帰りして母を困らせるものらしいから色々と我慢しよう」と思ったことを覚えている。
 
通っていた保育園は少しユニークで、保育園の周りを走らせる外周が頻繁に行われていた。「園児にここまで走らせるか」と子供ながらに思っていた。夏は裸で海に行って男の子は園長先生から海に投げ入れられるという遊びがあった。嫌がる子は免除されていたと思うけど、それも当時から何だか変だなあと思っていた。周りの大人も「この保育園は少し変わっている」と言っていた。
 
保育園を卒園し小学校へあがるときに隣りの町に引っ越した。保育園の友達と離れることがとても悲しくて離れたくなかった。親の都合という絶対的な力に屈するしかない自分を憐れに思って泣いた。
 
小学校入学。地域の保育園幼稚園から持ち上がりで入学した同級生のコミュニティが既に存在していて、別の園から入学した自分は異質な存在だった。
 
入学してすぐに元気な男の子のグループからいじわるなことをされた。「ここで舐められたら"終わる"!」と思った自分は、グループのリーダーの名札を奪って体育館の隅に隠した。
 
さすがのリーダーも半ベソをかいたところで「友達になってくれるなら名札を返す!」と言って友達になった。正しく言った言葉は覚えていないけど内容はそのようなものだった。
 
運良くリーダーを抑えたので何となくみんなと一緒に遊べるようになった。自分のどこにそんな闘争心があったか不思議だけど、保育園のマラソンと幼少期に父親と戦いごっこをしていたことで生まれた人格なのかも知れない。まずリーダーを抑えようと思ったことを覚えている。
 
その後は平和な小学校生活を過ごした。友達とファミコンをしたり鬼ごっこをしたりサッカーをしたりして遊んだ。心の底からだいたい毎日楽しかった。
 
夏になると従兄弟と海辺の民宿へ泊まりに行った。海の中を水中眼鏡で観察することが楽しかった。テレビでは金田一少年の事件簿が放送されていた。夜は民宿のロビーにあったスラムダンク稲中卓球部を読んで夜更かしした。とても美しい記憶として今も心に残っている。つづく
 
※少しずつ書き足していく。思いついたときに。(1/25)(1/26)