田中まじめ滅餓寧武露愚

よろしくお願いします。

田中まじめ物語5

つづき。

 

「やりたいこと」が店を持つことだった。一人で働いてみたかった。10月に2年半勤務した工場をやめて11月から美容師に復帰した。

 

復帰から半年後の5月に独立しようと思った。新規のお客様が見込める月だったことと、どこかのお店で長く勤めたくなかった。無謀な気もしたけど期限を決めないと達成できない気がした。

 

半年後に退職することを店側と約束して新潟市の中心部にある美容室に就職した。中途採用の美容師が集められ、運営は集客に専念する分業制の店だった。

 

来客数の多いお店で働いて勘を取り戻そうという狙いがあった。並行して開店準備に入った。

 

どんなお店を作りたいか。自分ができること、できないこと、得意なこと、苦手なこと、ニーズがあるか、競合していないか、誰がターゲットか、価格とメニュー、扱う商品、規模、場所、家賃、工務店、働きながら頭を振り絞って考えた。工場で働きながら妄想していたことも生きた。

 

51日オープンの逆算から工期が決まり、場所を決める期限も決まった。そこからは早かった。関わる方たちが出してくれる課題を期限内に一つ一つ潰していくことでどんどん形になっていった。

 

ディーラーさん、広告屋さん、銀行さん、工務店さん、不動産屋さん、お友達みんなに助けてもらってお店を開店させることができた。もちろん奥様にもたくさん支えてもらった。

 

2021年5月1日に開業。オープンした年は駆け抜けた。週一日しか休まなかった。ありがたいことにたくさんのお客様が来てくれた。 繁忙月である12月は自分の限界まで働いてみようという変な気を起こして具合が悪くなった。

 

具合が悪くなったというか鬱ではないけど全てを投げ出したいような苦しい気持ちになってしまった。自分で始めたことなのに。

 

しっかり休んだらケロリと治って「休みは大事」という言葉が身に染みた。

 

体力の無さを痛感したので2022年の年明けから週一回ながらプールに通い始めた。久しぶりの運動は気持ちが良かった。行ったらとにかく30分全力で泳ぐみたいな感じで運動していた。視力が弱いので度付きのゴーグルを買った。

 

また、2022年は奥さんと話して家を買う目標を建てた。本当に金のない夫婦でウサギ小屋みたいなところに住んでいた。家を買ったときに貯めていた貯蓄を放出しようと話していた。

 

コロナとウクライナ戦争の影響で注文住宅の価格は爆上がりしていた。

 

建売も考えたがどうも自分たちには馴染めず中古の家を探す旅が始まった。

 

2000万くらいで市内の駅近で50坪くらいでリセール価格も見込めて〜」と高校の同級生でもある不動産屋さんに相談したら、「出ないこともないけど毎日朝晩サイトの新着をチェックして翌日に見に行ってその場で決めるくらいのスピード感がないとゲットできないよ」と言われた。

 

「いやいや毎日朝晩て〜」と軽く構えていたが、サイトに掲載されていてイイと思った家を見に行くと、やはりどこかしら気になるところがあった。価格と状態と立地のバランスが難しかった。サイトに掲載されているものは基本的には誰かが購入しない判断をしたものだった。

 

たまに「めちゃくちゃ良いじゃん!」という家が出てきたが、次の休みに内見のアポを取ると内見までに先の買い手が着くことが何度かあった。

 

そうこうしている間に半年が経ち、これはいよいよ「毎日朝晩チェック」しなければならないと思い至った。

 

実際には毎日朝か晩にチェックくらいだった。朝晩チェックは難しい。しばらくして最初に考えていた条件の9割を満たすような物件が出てきたので即アポして翌日に確定させた。半年間くらい色々な物件を見たこともあり素早く意思決定することができた。

 

家を買ってからはリフォームや家具の購入に時間を費やした。2022年の大半は家について考えていた。

 

1年間を通じて週一回のプール通いで鍛えて迎えた202212月の繁忙月。途中までは調子が良かったものの大雪に見舞われた20日と24日の雪かきのダメージと最終週に向けての最後のペースアップが不幸にも重なってしまい、去年を上回るバッドマインドと体調不良に襲われて最悪な正月休みになってしまった。休んだら治った。

 

2023年。そうならないために毎週がんばっていたのにしっかりやられてしまって自分にとっては「プール意味ねえ」と思った。たぶん週一だと足りない。やるとリフレッシュになるけど。やらないより良いと思うけど。楽しかったけど。年明けからは毎日の筋トレを開始。できないときはやらないながら毎日。

 

自分のような人間が筋トレを続けられるなんて思ってもみなかった。昔の自分に2023年の自分は筋トレしてるよと教えてあげても信じないだろう。人は変わる。

 

モテるための筋トレは続けられなかったけど「いつまで元気に働けるんだろう」みたいな人生の巨大なバッドと対峙することにより筋トレに辿り着いてしまった。

 

20233月には新婚旅行に行った。沖縄。西表。マングローブ。ピナイサーラの滝。最高だった。ちょっと詰め込み過ぎてしまったので次はゆっくり行けるようにしようと思う。また働いて行けるようにがんばろう。とても良かった。

 

自然と自分たちの子供について考えるフェーズに入った。いちおう今までも子供が生まれるであろう未来に向かって選択して生きていた。「自然と生きていたら子供が生まれた」くらいが良いんだろうけど自分の性格が許さなかった。避妊して生きてきた。

 

新しく生まれた生命にとって生きることが良いことか悪いことかも自分には分からなかった。最近は生きることは良いと思える。どうなっても良い。悪いことをしないように楽しんで生きれたら。

 

楽しいと思うことだけ楽しんで暮らして良いと思うし、10年くらいの計画でコツコツやっていれば大体のことは何とかなる気がする。幸せ者の考え方かも知れないけど。思い通りにいかないことの方が多いけど。でも楽しめると思うから新しい生命が生まれたら嬉しいと思う。

 

自然の流れで生まれないなら生まれなくても良い。生まれなかったら山で暮らしてみよう。タマネギとトマトと香草を栽培してスパイスカレーを作って食べるとか。あはは。

 

「このように生きていかないと幸せになれないんだ!」と子供の人権を奪って自分の考え方を押し付ける親は子供に恨まれる。「生きる意味」や「幸せ」は本人の心が感じるもの。もし生まれてきたらたくさん色々なことを経験させてあげたい。どんな人間か客観的に見てあげたい。

 

話は少しズレるけど、「生きてて良かったってことは親のおかげじゃん!」と明るい友達は言うけど、死を考えてしまうほど親から追い込まれ傷つけられた心の中には「親に感謝」が存在しない。

 

親の責任感も分からなくもない。いや分かる。しかし戦争で殺されそうになった相手を許せるかどうかという問題に近い気がする。人は変わるのでいつかそう考えられる日が来るのかも知れない。そうなったらまた自分の心の動きを記録してみたい。まあ昔より全然大丈夫。超大丈夫。

 

高校生のときは死にたくなるくらい生きることがイヤだったけど、ついに子供を設けても良いような気持ちになった。人それぞれ色々な状況があるので簡単には言えないけど自分に似た境遇でつらい思いをしている人が読んで「自分以外にも似たような人がいる」と思ってくれたら良いなと思って自分の人生を書いてみた。

 

親から「このように生きないと不幸になるぞ」と脅かされて、それが全く自分の心に合わなくて、「なんで生きているんだろう」と、つらい気持ちで悩んでいる人に読んでもらえたら嬉しい。なんとかなる。なるようになる。なるようにしかならない。

 

一人で生きていくことは非常に難しいので助け合って社会の中で生きている。社会の中で生きることを自分で選んでいる。自分が人生で何を選択するか。自分と家族と友達の幸せと世界平和を祈っている。おわり

 

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最近では、「月々52000円の住宅ローンで住む場所が得られるなら、アルバイトでも生きていけると思うので、もっとやりたいことやっちゃってもいいんじゃないか!?」と考えている。もしも子供が生まれたら金がなくても生活を楽しめるようにがんばる。図書館とか釣りとか。かな?できるかな?なるべく人と比べない。なるようになる。

 

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美容師をしているとどうしても失客する。理由は色々あるだろうけど突然こなくなると自分の至らないところが次々に思い浮かび悲しくなる。

 

日々の仕事に全力で取り組み、気に入ってもらえなかったら仕方がない。次がんばる。「ミスもサボることも含めて今日のベストは尽くした」と自分に言い聞かせて寝ている。間違っていたらごめん。

 

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そんな感じで生きている。38歳になりました。