田中まじめ滅餓寧武露愚

よろしくお願いします。

ゆらゆら帝国について

 

 

ゆらゆら帝国が何故かっこいいか考え続けた青春だった。


それはきっと美学を体現しているから。

 

ゆらゆら帝国1989年に結成され2010年まで活動していた日本のバンド。オルタナティブロック、サイケデリックロックなどに分類される。日本語ロックを追求したバンド。

 

名前の由来は、「漫画に出てくる悪い国、シリアスな漫画じゃなくて適当な漫画に出てくる実体のない国をイメージして適当につけた」らしい。


現代中野界隈のファンシーみたいな抜け感を感じる。およそ30年前の1989年の2月に抜け感でバンド名を名付けたことも面白い。まあそれは昔からある手法なのかも知れないけど。

 

ゆらゆら帝国の音楽からは、パーソナリティを感じない普段どのような思想で生きているか、どんな人間なのか全く想像できない。人間の営み、生活感が極限まで削ぎ落とされている。


かと言って支離滅裂なわけではない。受け取る側の想像する自由度が高い、精神世界で何者からも解放されて自由に遊ぶ、その装置になっているのだと思う。

 

坂本慎太郎はインタビューで次のように語っている。

 

「現実感の無いものを作りたい」

「文学からは遠ざかりたい」

「非現実ではあるけど幻想的からは離れたい」

「現実に裂け目が生じる感じ」

「英語で歌うのと同じにならないように気を付けて

日本語の音にこだわる」

「色々な磁場に入らぬように遠くへ行かなくては」

 

特に「色々な磁場に入らぬように」というところが怖い。


何か曲を作るときに普通は自分が思っていることを伝えたくて作る気がする。坂本さんは「かっこいい世界観を伝える」すら無いのだろうか。


「嬉しい」や「悲しい」という感情を込める磁場すらも避けて、偶然に頼るわけでもなく、考え抜いたうえで、どこか遠くを目指してそして到着して結果を出している。だからきっと聞き手の想像を掻き立てる余白を残した世界を作ることができ、唯一無二のカリスマ性が生まれたのだろう。

 

ただ

 

「基本的な当たり前とされていることを疑ってかかれ

というメッセージは発しているつもり」

 

らしい。

 

この言葉を聞いて合点した。


やはりゆらゆら帝国はロックでありカウンターでありマイノリティに対する救済なんだ。根底に流れるものはブルーハーツと一緒だった。だから自分にとって心地が良いんだと気付かされた。

 

また、先に記したように作詞しているので誰かの気持ちを代弁するような押し付けがましさは全く無い。メッセージは発しているけど、メッセージは発していない。


その矛盾についても坂本さんの言葉がある。

 

「スウィートスポットは下ネタのレベルを下げて

高尚な領域に行くという試み」

「美しいはまさにそれ」

「究極を目指していくと反対側のものに反転していき、

反対のものと似てくる」

「スウィートなものが美しすぎて怖くなったり」

「物事を無感情に具体的に捉える」

「突き詰めて考えると何でも『これに何の意味があるんだろう』」

「ここまで冷めた感覚を打ち出すというパッションの矛盾」

 

究極を目指して反転して反対のものと似て矛盾を許さざるをえない状態に到達。世の中に対する消極的な全肯定ということな気がする。

 

また、そもそものモノを作る時の気持ちについては、

 

「人はいずれ死ぬから結果的には意味がないのだけど、

ただその状態で何か楽しめるものを作り出したい」

「絶望の中で楽しくやろう」

「自分が作った音楽で感動したい。虚しさを忘れたい」

「自分の妄想の中にあるこれを聞いてみたいを作る」

 

絶望の中で楽しくやろうは、自分が狸合戦ぽんぽこが好きな理由にも通じる。

 

作品からもやりたいことを思い切りやっている感じが伝わってくる。「売れよう」というエゴを感じない。誰にも媚びていない。「自分はコレが良いと思っている」が伝わってくる。現代的な「売れるためのギミックを散りばめた創作物」とは真逆の代物。だからかっこいい。惹かれる。


また、徹底的に想像の余白を残してくれている。徹底的にミステリアス。ミステリアスに筋を通しているということは随所から伝わってくる。

 

例えばライブではMCをしない。「どうも」「あと一曲です「ありがとう」くらいしか喋らないのでどんな人か全く分からない。

 

アンコールもしない。一回引っ込んで出てくる予定調和が嫌いらしい。「お客さんも分かっててやる方も美味しい曲を残したりする、そこに一回引っ込む演出が必要あるかどうか分からない、アンコール分も含めて全て構成してきっぱり終わりたい」と語っていた。

 

考え方はそれぞれだけど、そんなところからもライブの構成の細部まで「何故」が考えられている感じが伝わってくる。

 

ライブがCD以上にかっこいい。曲によってはライブ用のアレンジが施されていてそれが更にかっこいい仕上がりになっている。たくさんあるけど「ロボットでした」や3X3X3」などのライブアレンジを初めて聞いたときにはあまりのかっこよさに震えた。

 

機材は自分たちで搬送し最後までチケットは安かった。2006115日、多摩美ライブではバンに乗って帰るメンバーを目撃し、車の中でどんな会話するんだろうと思ったことを覚えている。

 

坂本さんはその多摩美を卒業しており(主席で卒業説も)、CDジャケットやTシャツのデザインなどアートワークの全てを坂本さんが手がけている。

 

イラストなどのアートワークは、さすが美大出身という感じでスキルを感じるし、曲と地続きの世界を絵で表現しているようで絵だけでも魅入ってしまう。

 

そしてゆらゆら帝国は人気実力ともに最高の状態の中、3人でできることはやり尽くしてしまった」という言葉を残して解散した。

 

ラストアルバム「空洞です。」以上のイメージがゆらゆら帝国として浮かばなくなったらしい。


空洞です直後のインタビューでも


「前作スウィートスポットがすごく古く感じてしまう」

「空洞ですは普通のおばさんである妹にほめられたし、

色々聴いてるややこしい人も普段興味がない人もすごいと言ってくれた」

 

「やり尽くした」という解散の言葉を聞いた多くのファンの反応も「悲しいけど確かにやり尽くしたかも」と妙に納得してしまうほど空洞ですは完璧だった。

 

空洞ですは、90年代は自分が面白いと思うことを追求すればするほど世の中から遠ざかっていく感じ」と言っていた坂本さんが研究の果てに、反転して反対のものに似た(大衆性を得た)究極の状態だったのかも知れない。もっと活動して欲しかったが、それこそ美学に反することと思う。最後まで美しい最高のバンドだった。

 

ヒップホップもテクノもアイドルも良さそうだったら何でも聞くし好き。ただ、自分にとっての唯一絶対の存在はゆらゆら帝国だ。生き方としてゆらゆら帝国の美学のようにありたい、書きながら改めてそう思わされた。