インスタグラムとツイッター
インスタグラムからいいねの数を表示しなくなるらしい。今は試験的にそれを運用している。これはかなり大きな変化。
インスタグラムは特に見て欲しい欲求に対するサービスだと思うので、いいねの数が表示されなくなるとインスタグラム全体の勢いが弱まるのではないかと思った。
しかし運営はいいねを表示しない方がいいと判断した。プロの目線だと長い目で見たときにいいねを表示させないことで所謂SNS疲れ的なダメージを軽減させた方が支持を得やすいと考えたのか。
また、いままでいいねの数が嫌だった人は上げやすくなったのかも知れない。
ストーリーズ(なぜか全国的にストーリーと呼ばれるストーリーズ)も、ここ2年くらいの話だったような。ストーリーを上げる人が多い。
ストーリーはツイッターで言うとツイ消しの感覚に近い。インターネットに刻み込まなくてもいいけど、ちょっと出しときたいですみたいな。
ツイートを消す行為(ツイ消し)は言葉に責任を持つことから逃げている気がしていた。いわゆる吐いたツバ飲まんとけよ的な。
しかし、アユニDが頻繁にツイ消しをしている様を見てそこまで重く考えなくていい、これは一つの楽しみ方なんだ、と考えるようになった。
その瞬間だけ何かを吐き出し、そしてすぐ消す。限定的で面白い。ストーリーが24時間で自動で消えることに対してツイ消しは自分の意思が働いたタイミングで消すのでそこは違う。
また、自分のアカウントを訪れてくれた誰かに対してもキレイなものだけ残してある片付いた状態の方が嬉しいのかも知れないとも思った。
個人のイメージだけどインスタグラムは明るく商業的。美容室、アパレル、イベント告知が多く実際の購買意欲に繋がっている感じがする。
結婚報告、育児日記、筋トレ日記、グルメレポート、観光レポート、明るい情報が多い。音楽もブリンブリンなど見栄えがする音楽はこちら。
ツイッターは暗い。闇世界への入り口が無数に開かれている。だがそこがいい。この自然に生まれた住み分けは何なんだろう。考え始めると楽しい。
最近思ったことはインスタグラムのオタクという言葉は軽いが、ツイッターで言うオタクは背負っている業が深すぎて軽い気持ちでオタクを名乗れないということ。
パソ・コンさんの「鉄風鋭くなって」のくだりは切れ味が鋭すぎて面白いけど反応できなかった。ツイッターでは現実の生活につながっている感じが薄いアカウントが跋扈している。
最近はそんなことを思っていた。用法用量を守ってどちらも楽しみたい。以上。まる。