原風景などについて。
少し前になってしまったが椎名林檎がMステで正しい街という曲を演奏していた。それを見て色々と思い出したり思い浮かんだりしたので記録。狂人の妄想。
人生で二番目に買ったCDが勝訴ストリップだった。新潟市の中でもひときわ田んぼに囲まれた地域で暮らす中学生の私にとって椎名林檎は刺激の塊だった。特殊なビジュアル、都会的で先鋭的で自信満々で儚げでミステリアスでセクシーな女王様。
勝訴ストリップは発売日からすぐに買ったことを覚えていて調べてみたら中学三年生の春らしい。
(人生で一番目に買ったゆずのゆずえんと三番目に買ったゆずのゆずマンの夏まで思い出した。うわ、そんで4番目は椎名林檎の無罪モラトリアムで5番目が椎名林檎・発育ステータスの絶頂集だ。99年10月〜00年9月のこと)
どちらかというと繊細なタイプだった私は中学生特有の不安定なメンタルを発症し高校卒業くらいまで暗黒時代。漆黒。中二病。
当時のメンタルを解明すべくネット検索していたら下記のリンクのサイトに行き着いた。書きたいことのだいたいがまとまっていた。他者との比較からの解放や社会参加、幸せに生きるコツについても分かりやすく書かれている。
自己愛性格の“自己の特別視”と“他者との比較・嫉妬”が生む不遇感2:アドラー心理学の共同体感覚: カウンセリングルーム:Es Discovery
簡単に言うと、他人と競争する、優劣を決めること、そのプレッシャーが他者を受け入れられない感覚や被害妄想に繋がり自己愛が増長し自己の特別視を生む、自己の特別視は非現実なので挫折、劣等感、苦悩する=中二病。みたいな。
まさにそんな頃、親の抑圧と田舎の閉塞感の中でスクスクと自己愛を育んでいたときに椎名林檎は現れた。音楽を聞いているときは嫌なことを忘れて自分と椎名林檎だけの世界に逃げ込むことができた。
ベッドに寝転がって歌詞カードを眺めながら、何を言っているか全く分からないけど、どういうことなんだろうなと中学生ながら考えたりしていた。かわいくないけどかわいい。暗黒かわいい。あんかわ。
ときは西暦2000年。2000年問題なんて言葉は流行っていたけど、その頃はまだまだパソコンやインターネットは普及していなかった。
お父さんがシステムエンジニアをしていたシバノの家と、従兄弟のおじさんがパソコンオタクだった自分の家と、たつき☆のハンドルネームを持つミオさんの家、自分が知っている限りではこの三つの家庭だけにインターネットが開通していた。
友達とエロ本を買いに行くカルチャーもあったけど、シバノに教えてもらったカリビアンコムでは無料でモザイクの向こう側が出ている〜みたいな。たつき☆さんともEメールのやりとりを数通してみたり。
良いのか悪いのかインターネットも現実から解き放ち新しい場所を与えてくれた。
椎名林檎と田園風景とインターネット、それが中学生の自分が住んでいる立体的な原風景。同年代には同じような原風景を持っている人がたくさんいる気がする。
そして、その自分にとっての原風景が映画化されたものが岩井俊二の「リリィシュシュすべて」だった。リリィシュシュではいじめを受けている主人公の唯一の救いがSalyu演じるリリィシュシュの音楽で、主人公は中学生ながらファンの集うホームページを運営していた。
リリィシュシュのすべてという作品を通じて過去の自分の感情を一部分ながら客観視できるようになった。
さらに、その勝手な原風景の物語は続く。リリィシュシュを通過し、現実世界とリンクして現在進行形で走り続けているバンドが自分の中にある。
田んぼ、インターネット、閉塞感、いじめ、音楽による救い、現実逃避という共通点で結ばれたバンド、それが神聖かまってちゃん、個人的に。1985年生まれという時代感も。
ボーカルの"の子"が、90年代のJポップやUKロックに影響を受けて楽曲制作をしていると言っていた。ところは違えど同い年が同じくらいのタイミングで聞いていたであろう音楽。そんなところにも親近感を覚えてしまった。配信もツイッターも独特の味。
似たような原風景から時を同じくして出発した人間が現代まで走り続け世間に上等をキリ続けロックンロールヒーローに成長、今は若者に何かを与える側になった、と勝手な物語を展開させてしまう。
人間それぞれの原風景。かつて存在した自分。現実と整合性が取れず捨ててしまった自己愛。現実に傷ついた人々は、物語の中にいるピュアな自分を見つけ癒されているのかも知れない。中高年女性が韓国ドラマにハマる理由も、大人がアニメにハマる理由も原風景による癒しな気がしている。
最近の話。35歳の男がツイッターで出会った小学6年生の女の子を連れ去って捕まった。事実関係確認中とのこと。
生きづらさを抱える若者はインターネットを通じ現実のコミュニティ以外の見知らぬ人との交流を選ぶ傾向にあるらしい。周囲から規定された自分(いわゆる"キャラ" )を解放して本当の自分を出せるような気がするからだそうだ。
現実のコミュニティで馴染めなかった部分を、趣味嗜好の近い人間とインターネットを介して出会い、時間と距離を超越した新しいコミュニティを作ることで埋めようとする行為は非常に自然な気がする。
話しがまとまらないけどインターネットは楽しく使おう。そんなかんじで終わります。ばーい。