田中まじめ滅餓寧武露愚

よろしくお願いします。

キムラ(ッピー)

キムラ(ッピー)という男と富山まで旅行してきた。

 

キムラは佐渡の友人。きこりと漁師と牡蠣の養殖などを自営でしている。デジルメンバーのナオキと同じ専門学校に通っていて19歳頃からの付き合い。とにかくよく喋る男。面白い。

 

昼に新潟で集合して車で富山に行って坂本慎太郎さんのライブを見て富山駅前で飲んだのだけど、本当に脚色なくズーーーーっと喋っていた。

 

そのネタを記録する。

 

佐渡の漁師の給与体系、佐渡の漁師の福利厚生、佐渡の漁師のその他アンダーグラウンド、400万円で人身売買する話、仕事、愛、音楽、しゃむ(YOUTUBER)ゆゆうた、しゅんにき、セックストラブルに巻き込まれた話、デジルの話、スターレットのプリクラと自転車、東大のキャサリン、傷のなおちゃん、田中コウキ君の実家での音楽活動、ダブルコージーのカリキュラム、愛犬家殺人事件、冷たい熱帯魚、洋子の話は信じるな、同性愛誌の表紙のゴロの良さ、なにわともあれの表紙のゴロの悪さ、同性愛者の雑誌の表紙のゴロの良さ、相手のものを宿すエイズの話、ギリ健の話、ガムを噛みながら取り調べを受けた話、ワンタップバイ、インターネットカジノについて、株は応援したい企業を買う話、CoCo壱の社長の話、メロン農家の顧客名簿の話。

 

本当にずーーーと喋っていた。上のタイトルはほんの一部。これがまた面白いから聞けるんですよね。本当に永遠と喋っていて話のピークを繋いでいく姿は凄腕DJを思い浮かべるほどでした。もしくは煉獄。戸田流の煉獄のようでした。二日目の昼過ぎから聞くことが辛くなり流していた。聞いていたけど。フジロックに初めて三日間行った時の感覚に似ていて三日目の音楽もう聞きたくない感じというか短時間に摂取しすぎてお腹いっぱいみたいな感覚だった。

 

あとは富山のスーパー銭湯に行ったのだけどそこそこに混み合った風呂場で俺とキムラだけパイパンにしていたことに気付き滑稽だなと思った。風呂場では思わなかったけど新潟に帰ってきてコンビニのトイレで用を足しているときに「あれ?そういえば、、、」と思い出してじわじわ面白くなった。またキムラを見送った後で「しかもあいつ髪の毛ラモーンズみたいなぱっつんボブでヒゲも伸ばして縛っているのにパイパンて、、、」と二段階面白かった。

 

深夜の富山駅前では「コマネチさん」なる人物に遭遇した。バブルの頃のOLみたいな雰囲気でキレイな方だったのだけど、すれ違う人全員に「コマネチ!」と声をかけて、驚く姿をキャス配信して歩き回っているという。たまたま居合わせた富山の人が教えてくれた。

 

あとは新世界のセクシーさん(男性)がいい人だった。

 

またもう薄明るくなった町で客引きをしている怪しすぎる女性の存在が怖かった。ウシジマくんの世界を感じた。

 

そんな感じでどこかでキムラを見かけたら上のテーマで話を聞いてみてください。面白いです。ではばーい。

2019316坂本慎太郎ライブ

2019年3月16日に富山ヘリオス劇場で坂本慎太郎バンドを見てきた。

記録する。

 

スモークがすごかった。

一曲目は裏声を失敗していた。

坂本さんのライブを見ることは10年ぶりくらい。

自分も緊張していた。

 

1曲目「死者より」

2曲目「めちゃくちゃ悪い男」

3曲目「べつの星」

 

最初の印象は、ソロアルバムと同じイメージ。

どうしてもゆらゆら帝国時代と比べてしまう。

ソロになってからはソフトなイメージ。

 

4曲目の「義務のように」、サックス。

 

5曲目「仮面をはずさないで」、坂本さんがソロになってからしばらくライブをしなかった理由を考えた。だんだんワールドに引き込まれ始める。

 

6曲目「ズボンと棒」、この曲がやばかった。ずっと聞いていたい。極限まで削いだ音で踊れる感じ。やばい。ゆらゆら帝国「やさしい動物」をライブアレンジしたとき、めちゃくちゃゆっくりなアレンジにしたことを思い出す。でもそれよりさらに音が少なく研ぎ澄まされている感じ。

 

7曲目「幽霊の気分で」

8曲目「マヌケだね」、ベースがかっこいい。OOIOOのAYAさん。すごい綺麗なボブ。

9曲目「ロボットになれる」、現代の昔話的。身内の話で恥ずかしいけど僕と一緒にラップしているMCニャンを思い出す。同じ世界観。もちろん個人の感想です。

 

10曲目「鬼退治」、MCニャン。これも日本昔話。まんまだけど。

 

11曲目「ディスコって」、ギターソロかっこいい。かっこいいなあ。

 

12曲目「生で踊ろう」、西内徹さんマラカスと踊る。ゆらゆら帝国「無い!」みたいなギター。胸に迫るぜ(エモいと言わない)。マラカスやばい。めちゃくちゃあがる。これこれって気持ち。

 

13曲目「幻とのつきあい方」、裏声完全に復帰。良い。

 

14曲目「君はそう決めた」、チョンワーって音を鳴らす楽器の形状を初めて見た。あの音、好き。めちゃくちゃポジティブな歌詞に聞こえる。

 

15曲目(アンコール)、「いる」。やばい!アンコールまじか!とバチクソやばい上がる。ゆらゆら帝国の時はアンコールをしないバンドで有名だったので。ファンはライブが終わるとほぼアンコールをせず帰ったものだった。これもポジティブに聞こえた。

 

しかし後日サーチしたところによると、ソロになってからは度々アンコールもしているようだ。

 

そして『アンコール』と言っているが厳密にはアンコールっぽくない。14曲目の後にメンバー紹介をした後、客側からのアンコールを待たずに自主的に「それではアンコールにお答えして」と始めた!だからアンコールっぽくない。

 

まとめ。ゆらゆら帝国のファンだけどトータルでやっぱり坂本さん好き!と思わせるライブだった。見たことなくて好きな人は遠征してでも一度は見て欲しい。

 

ゆらゆら帝国との違いは何か考えたところ、楽曲はもちろんのことやはりバンドメンバーが違うという結論に辿り着いた。今の人たちもいいけど。だって千代さんと一郎さんの社会不適合感というか三人がステージに上がった時のやばいもの見ている感じは唯一無二だったから。あの現実離れした絵面、三人が醸し出す雰囲気。

 

ナンバガザゼンのようにやっていることが違うので何を好きと思うかは別の話で。

 

というわけで坂本慎太郎ライブ良かったです。以上。ばーい。

続・ピエール瀧

電気、フジロック出演中止。悲しい。

 

瀧さん、20代から大麻やコカインなどされてたとのこと。

 

ダメだけど、そのニュースと卓球さんのPumpIt出演中止のお知らせにかかる「だとよ」から、卓球さんは瀧さんの違法行為を認識していたことと勝手に考える。また、今回の事件について卓球個人として許容範囲内の出来事と勝手に考える。勝手に安心してブログを綴ります。本当は分からないけど。アーティストとファンの関係ですから。

 

ツイッターの反応を転載。

 

 

 

 

 

掟ポルシェさんの見解が非常に面白い。

 

「法を犯したものが即立場を失うだけの現代社会に一石を投じている」

「電気のことをよくわかっているからこそ一連の報道に対して冷静だったのが特殊な現状を物語っていた」

 

正しいかどうかではなく、電気グルーヴの二人が発信してきたものとその功績によるファンの反応、価値観、それがTVというめちゃくちゃ大きいメディアを通じて知らない層の目に触れている。既存の大衆の価値観を揺さぶっている姿が痛快だ。

 

TVだけじゃなくて、SNSを通じてその考えが意識してなかった層にどんどん届いている感覚が面白い。

 

 

すぐには変わらないかもしれないし、現状としては犯罪でダメなことだし、大麻の話じゃなくて、日本全体の様々な不合理に対する問題提起として何も考えていなかった部分に何かきっかけを与えてみんなでたくさん社会を考えるようになったら日本がより暮らしやすくなるかも知れないと少しだけ明るい気分になりました。一人一人が何かを知って考えて意見を発信するということはこれからすごく大事になる気がしています。

 

僕も何も知らないし、偏った思想を持つ訳でも、特定の宗教に入れ込むでも、儲け至上主義に走るでも、その逆に走るでもなく、自分と家族と友人と楽しく暮らせるように考えて日々がんばっていきたいと思います。以上、まる。ばーい。

コースケ

コースケという小学生来の友人がいる。普段は東京に住んでいる。とても変わっている。僕も少し変わっているので二人で変わっている部分を共有して面白がって今に至る。

 

ここ10年くらいのお正月はいつものデジルメンバーではなく、コースケと二人で彼の実家の部屋で年越しの瞬間を迎えていた。上京してから何も変わっていない、ハイパーヨーヨーや「ゆず」のポスター、ゾイドのおもちゃラッキーマンやウィード、水島新司の漫画本など懐かしい品々がひしめく博物館のような子供部屋で。

 

1年間で、夏と正月の二回くらいしか会わない。会うときはお互いに溜め込んだ半年のサブカルを総まとめして発表したり何となく流れているテレビに独り言みたいなことを言ったりして過ごしていた。それが毎回の恒例行事でめちゃくちゃ楽しいイベントなのである。

 

ある年などテレビの調子が悪く、二人して代わる代わるスマホの音楽を直ガケして過ごすだけの地獄みたいに盛り上がらない楽しい年もあった。大晦日からお正月にかけての特別な夜に。

 

どのように付き合いが始まったか思い出す。小学校の同級生で、良くコースケの家に遊びに行っていた。中学校では同じ野球部に所属し、キャッチボールのパートナーだった。小学校からの流れを汲みつつ野球に対する熱量もほどほどで色々お互いにちょうど良かったのだと思う。毎日キャッチボールをして、そこから一気に仲良くなっていった。

 

中学校の時の共通の趣味は99ANNラジオだった。高校1年生の時には、お互いしか読まないケータイ小説を作ってメールで送りあっていた。やばすぎる。ドラゴンボールスラムダンクをフルサンプリングしたナンセンスギャグ小説。どうやって終了したかも忘れた。陵南の魚住をいじり続けていた記憶がかすかに残っている。

 

深夜ラジオという陰の極みみたいな趣味は継続させつつ、青春パンクから始まったバンドブームに乗じ二人とも意識的に音楽を聴き始め、だいたい同じような遍歴を辿る。コースケはハガキ職人もはじめ品川庄司のラジオでピーク時は毎週採用されていたらしい(99ANNにも2回採用されたことがあるとのこと)。ノベルティのおすそ分けをいただきまだ持っていたりする。

 

19歳、コースケは上京し大学の仲間と音楽活動をスタートさせる。僕は新潟に残りニャン、ブリングのデジルメンバーとラッピー、シュンペーという二人の男も加わり酒クズ一直線の青春を歩み始める。お酒は20歳になってから飲み始めました(コンプラ)。

 

20代前半もちょくちょくと合って、音楽や映画、漫画、お笑いなど糞みたいなサブカルトークを交わす。コアな知識的な部分はコースケとたくさん共有して学んでいった。特にコースケが編集プロダクションに所属して実話しか載せない雑誌に携わってからの情報はとても強烈でアンダーグラウンドオルタナティブでイリーガルで刺激的だった。

 

そして冒頭に戻り年二回スタイルが完成され現在に至る。

 

コースケは、同じ中学校の同級生であるニャンとはジョジョの格ゲーを泊まり込みしてまで一緒にしていたり、ブリングとはクラスも部活も一緒で仲も悪くなかったはずだが自然と疎遠になっていく感じも今思い出すと感慨深い。ずっと仲が良いって色々な要因が重なった奇跡なんだと思う。電気グルーヴ

 

2パターンの地元の友人を持ちながら、接点のないブリングとコースケの興味がリンクする瞬間を僕は見た。ブログとインターネットラジオという発信手段を用いるところまでは共通だった。しかし、それぞれの目標設定やアプローチは、陰と陽、短距離走長距離走、ウェットとドライ、匿名性と実名性、ライブと録音、合法非合法、あらゆる面で逆をいっており、その姿をどちらも見れて面白かった。もちろん良い悪いではなく二人の推進力にただただ感嘆しているところだ。

 

そんなコースケからゴールデンウィークに帰ってくるという連絡が入ったのでブログにしてみた。今から楽しみ。コースケ回、終了。ばーい。

SNS

ツイッターには色々な人がいる。思ったことをつぶやく場所、楽しかったこと、辛かったこと、自分の思いを発信、欲求を吐き出したり、愚痴をこぼしたり、ネタの発表、テレビの実況、情報収集、色々な使い方がある。

 

聞いてくれる人はフォロワーさん。もともとの知り合い、気になった人を検索または誰かのいいねで流れてきたのでフォロー、フォローされたからフォロー返したり。肉体のある現実世界からの監視であったり、もっと希薄なネットだけの風景のようなものも、一律にフォロワーさん。

 

この前のブログでも勝手に貼り付けさせていただいたzbptさん。

 

 

瀧の逮捕を受けてのツイートがコレである。

 

zbptさんのツイートはもはや僕の中でゆらゆら帝国の域に達している。思想やパーソナリティが消失した無味無臭のギャグ。そのくせにzbpt節がありすごい。

 

他に、スクールカーストの下位から世間を風刺するようなスタイルを完成させた山田ドルゴルスレンさん。ある種の核心を持ってアイドルに噛みつきまくる梅ちゃん先生、とにかくレベルの高いギャグを量産するエゴロックさん、やんさとさん、などなど。自分の中では既に芸能人のような存在でツイッターがテレビのような役割を果たし始めた。それは言い過ぎ。しかし情報は早い。あと読者投稿ネタハガキコーナーみたいで面白い。

 

インスタグラムは幸せで溢れていて自分のような陰の者には少し明るすぎる。子供の写真を載せはじめたら、もうそこは顔面ありきの匿名性の低い大人の世界。ツイッターの精神性は若い。誰がではなく、そういう人が多くコンテンツとしての性格を個人的にそう感じるということ。あとは旅行に行った記録、食べた飯の記録、購入したもの、そこから導き出されるインスタグラムは雑誌のような役割が強いように思う。好きな人のセンス、生き方、芸能人じゃなくて身近な人のものでもそれを見ることができる。

 

ツイッターは、感覚的、感情的なものが垂れ流されている。全てを見てはいけない。新聞を見るように、友人や好きな人が発信するものだけをチョイスして見るといいのかも知れない。インスタに比べ流れていくスピードが早い。


ブログで吐き出すものは、残したい情報、いつか誰か自分に興味を持ってくれた人に、より自分が考えていることを知って欲しい。知って欲しい欲、認めて欲しい欲、承認欲求。いやなくてもいい。何を考えて生きているか誰かに伝わったら面白いかなと。あとは情報量として重ための話を吐き出したいなと。ギャグでも無いやつを。だからなるべく人通りの少ないところにブログを設置していたりする。

 

このブログはまだ未完成。また思いついたら修正します。そんなところで、ばーい。

ピエール瀧

朝起きたらピエール瀧が逮捕されていた。

すぐに思ったことは、「卓球さん、どう思っているんだろう」ということだった。

 

ピエール瀧石野卓球からなる電気グルーヴというグループは、かっこいいテクノはもちろんのこと仲の良いおじさん二人組というところも魅力の一つだった。

 

そもそも片方が作詞作曲して片方がパフォーマンスに徹するなんてめちゃくちゃ仲が良いからできることだと思う。実際に仲が良さそうだったし、そんな二人を見ることが楽しかった。

 

個人的に自分のラップグループも三人で電気みたいに歳を取っていけたら最高だと考えていたので瀧の薬物使用を卓球がどのように考えているかとても気になる。知っていたパターンならまだ良いが、止められていたのに裏切って鼻からチクショウしていたなら怒ると思う。

 

「とりあえず卓球も逮捕してくれ」というファンのツイートを見たし、僕もそう思っていた。どうやって二人はこの事件を乗り越えてくるのか。すげー笑えるギャグにして欲しい。鼻の周りを白くさせながらカムバックライブで「ミニにタコが、、」くらい言って欲しい。僕が好きな電気は世間から白い目で見られながらも自分が面白いと思ったことを貫き通すスタイルだ。でも大人だからそんなことできないかな、して欲しいな。

 

 

 

とりあえず相方も逮捕しろって思わせるって色々すごすぎるだろ。

 

ビートルズはじめ数々のアーティストはドラッグの力を借りて名作を誕生させてきた。世界各国では大麻解禁が始まっている。もちろん法律は守らなきゃいけない。ただ今回の事件はどんな問題よりも二人の関係が壊れないことだけを祈っている。

 

 

ここからは全然違う話。

 

職場にロックがめちゃくちゃ好きな40代後半の男性・Mさんがいる。ギターが趣味で上手くなりたくて帰宅後はギターの練習に没頭されているそうだ。

 

今日、瀧逮捕の知らせから心が落ち着かずジャンル外とは知りつつも音楽が好きなMさんに「電気グルーヴって知ってますか?ピエール瀧、捕まっちゃいましたね」と声をかけてしまった。

 

「いやあ、俺はあんまり電気グルーヴは知らないんだけど、、」から始まったものの、

 

「当時のナゴムレコード電気グルーヴや筋肉少女隊より有頂天(ケラリーノ・サンドロヴィッチ)の方の人気がすごかったね」、「俺はそれより日本だとウィーラードやコブラを聞いていたんさ」、「いっちゃん最初はパンクが好きだったんさねぇ。クラッシュとかピストルズとかそういうのじゃなくて、バズコックスとかスティッフリトルフィンガーズとかね」、「跳ねるようなリズムが好きなんさね」、「へヴィメタも流行ったけど難しくて引けなくてさ」、「若い頃はね、パンクスみたいなカッコもしてたけどね」、「昔のライブハウスはおっかなかったんですよ、ライブが良くないとハコのオーナーからボロックソ言われたりね」、「今は良くなくても良かったですよなんつってるでしょ?俺は何も言わないですけどね、余計なこと言うと悪いから」、「シンナー吸ってるようなのもいたけど、俺は相手しなかったですね」、「まあ決められないけど一番好きなのはジミヘンとかCCRだろっかねえ」

 

と色々と話してくれて(もっと語ってくれてたけど忘れた)面白かった。さっき初めてスティッフリトルフィンガーズ聞いたけど、めちゃくちゃかっこよかったです。ちょっと千葉さんみたいな声。

 

あとは酒飲みながら電気グルーヴ聞いてましたて。かっこいい!ばーい。

DEZIL BOYS について

DEZIL BOYS とは、BRING BACK、MC ニャン、田中まじめ の三人からなるラップグループである。同じ中学校の同級生で構成されている。

 

出汁BOYZなのかDEZIL BOYZなのかDEZIL BOYS なのか、表記についてメンバー間で議論された際に「『DEZIL BOYZ』がかっこいいからそれでいこう!」とブリングと田中が主張し、ニャンは『Z』に消極的だった。

 

そして、いざ字面を見たとき、「『Z』より『S』の方がしっくりくるかも!」と最初に『Z』表記を推していたブリングと田中が翻意、このとき逆にニャンは「やっぱ『Z』良くね!?」と叫んだが数の暴力に押し切られ『S』に決まった

 

はずだったが、最初のライブで配布するCDのジャケットを手書きしてたときに「やべ!間違った!『Z』で書いた!」というブリングのシャウトにより、正式表記としての『DEZIL BOYZ』が誕生した。

 

しかし、その後も、『出汁BOYZ』表記が流通したりしているのでここでは田中が個人的に好きな『DEZIL BOYS』表記でやらせてもらう。色々な表記があることによりエゴサをしても引っかからないところも好き。

 

「デジル」とは大江山スラングで「先走った感情」のことである。

 

「良かれと思ってした行動が思うような結果を生まない様」を見て、「デジル出ちゃったね」「デジル吹いちゃったね」と慰め合っていたことで定着。我々は普段からデジルを吹かせている。

 

ニャンは、僕の実家の隣の家の親戚の子供として登場。同い年だったので小学生の時から何度もキャンプに行くなど家族ぐるみの付き合いがあった。僕は別の小学校だったがブリングとニャンは同じ小学校に通っていて、その頃からの付き合い。

 

三人とも大江山中学校に入学。ブリングは中学一年生の時に同じクラスになり友達になった。クラスの壁新聞では共にイラストを勝手に書いて「ウケを狙って目立ちたい」「誰かに笑って欲しい」というしのぎを削りその切磋琢磨が今に続く原点だと思う。またブリングとは同じ野球部にも所属していた。ニャンはゲームをしていた。

 

高校では別々の青春時代を送る。田中は公務員試験の勉強、ブリングは部活動で柔道、ニャンは警察との鬼ごっこ。全く違った青春を過ごすが卒業する頃には、再びツルむようになっていた。

 

時は流れ、三人はヒップホップに出会う。ブリングとニャンは体のサイズがデカ過ぎてメンズノンノのファッションができなかったことから、田中はブリングに聞かせてもらった般若今日から出会った。たくさんの日本語ヒップホップを聞くうちに「パンチライン」という特に耳に残るフレーズを吸収し、気が付くと日常会話にいかに「パンチライン」を楽しく混ぜ込めるかという遊びが始まる。

 

例えば、同意したとき普通は「分かる」と言えば良いところをケーダブパンチラインを引用して「俺もBOY ーKENとは同意見」と返し、更に誰かが「あれば話し合う相違点」と続けるいう感じだ。

 

そんな感じで誰かに強烈に憧れてラップを始めたわけではないが、ただただ趣味が高じてラップ活動が始まった。モチベーションとしては「知り合いが飲み会でラップしていたら面白いでしょ?」という余興的な意味合いが強い。あとは恥ずかしながら友人が持ってくるリリックが面白い。


MCニャンの「蜃気楼のきゃりーぱみゅぱみゅと砂浜の上でサマーしゃぶしゃぶ、蟹がこっちを見ている、ハニカミながらサマーガム噛む」というリリックが上がってきたときには、まじでこいつやべーなと思って、その年の自分が選ぶプロアマ不問のリリック大賞で優勝していた。コカインやってないよね?


ブリングも僕も負けじとリリック(ギャグ)を発表して、互いに身を悶えさせながら「君のリリックやばいね〜」と褒め合うことが面白いのだ。

 

そんな感じで始まったDEZIL BOYS 。おじさんたちが恥ずかしさを持ち寄って遊んでいる。新潟市に不穏な空気を漂わせるべく活動している。「今日のライブ、不穏でしたね〜」と言われたい。個人的な今後の野望としてはどこかの9歳が作ったリリックをハタチくらいの女の子に歌わせて、おじさんたちとコラボさせたい。何を言っているか分からないかも知れないけど僕も分からない。

 

歳を取ったらオルタナティブヒップホップ自己啓発系バンドになりたい。「新生クソアイドル」から「楽器を持たないパンクバンド」に変わったBiSHのように。よろしくお願いします。今日はそんなところで。ばーい。