田中まじめ滅餓寧武露愚

よろしくお願いします。

ツイートをお料理に例える話

どうでもいい話です。

いつもどうでもいい話なんですけど更に一段上の

どうでもいい話を。

 

以下

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

「最近お料理するような感覚でツイッターできるようになってきた」

 

いや、違うんですけど、お料理するときに塩加減などの味の調整とか

どれくらい茹でるかとか、当たり前のように考えるじゃないですか

 

ツイートにも似た感覚があるように感じました。

 

思いついたネタ自体のクオリティが第一段階としてあって

それを素材そのまま出すのか、

 

もしくは少し手を加えるのか。

自虐味、うっかり味、ひらめき味。

 

良い素材、ネタが一つ生まれたとして、

敬語とタメ口でも違うし、

主語をどこに置くのかでも変わるし、

 

「OOをXXした」でも「OOがXXした」でも

頭で思い浮かべたときの語感が違う。

 

正しい言葉でネタを調理するのも、少し砕けた言葉や、

敢えて文法や言葉の意味として間違っている言い方で完成させるでも

文章として出来上がった時の味わいが変わってくると思う。

 

そして、結果として食いもんは食いもんなわけで

それを美味い!と言う人がいても、

不味い!と言う人がいても受け取り方次第。

一つの情報は情報。

情報を発信する人と受信する人が、

メシを作る人と食う人がいるように。

 

そんなこと言っておきながらツイッターのやり方なんて無い。

好きなように楽しむだけ。

それが真理。

ただやり方が変わると反応は変わるなと。

 

調理するものとしては狙い通りに感じてもらえるか

狙い通りに感じてもらえてないかは面白い。

人と人との感覚の共有。

 

え?何を言っているんですか?続きます。

 

それは、更に誰に食べてもらうか、どこに出すか。

アイドルだけが好きな人にする話と

バンドだけが好きな人にする話と問題の中心も含めて

伝えた方を変えた方が話の内容として良く伝わる。

 

おじいちゃんに濃い味は合わない、若者は逆の場合が多い。

中華が食べたい気分なら和食より中華を。

 

ツイッターに戻すと、自分のフォロワーさんがいて

音楽界隈、ネタ界隈、地元界隈、その他の界隈、

それぞれどこで思いが一緒になっているのか違う。

ご飯を食べてくれる人、自分のツイートを見てくれる人。

それぞれ「この味が良いんだ!」と思ってくれているなら

そのポイントは異なる。

 

この辺りは店をどこに出しているのかにも通じる感覚。

 

田舎で何でも食える食堂、繁華街でタピオカ、

学生街の大盛りガッツリラーメン。

 

地元ネタは地元の人に、コアな音楽の話はコア層と、

 

強いのは、他の人が思いつかないような着眼点から生まれる

フレッシュなネタ。これはどこでも喜ばれるような気がする。

 

自分が言いたいこと、主張したいこともあるけど、

誰かから「美味い!」と言ってもらえたら嬉しい。

 

更に一歩踏み込むと、

発信する時間帯でタイムラインにいる人も変わる。

朝食、ランチ、ディナー、居酒屋。

そうすると反応も変わってくる。

時間帯によってはそのまま流れていくこともある。

 

自分のアカウントの状態がそんな感じなので

そんなことを考えていた。

 

ツイートでも料理だけじゃなくて何でもそうか。

 

誰にいつどこで何をどうやって伝えるか。

これやんけ。すでに手垢のつきまくった話やんけ。

震えるぜ!

 

以上。まる。